地上の権力者のしわざは、不正なさばきを行うこと、悪者の顔を立てること、他方、弱い者、みなしご、悩む者、乏しい者をないがしろにする。
彼らは、己を神のごとく人々に崇めさせるけれど、その実、暗やみの中を歩んでいるに過ぎない。彼らの土台はことごとく揺らいでいる。決定的なのは、神と自称しながら、人のように死ぬ。君主たちのように倒れるという言葉は滑稽ですらあります。彼らはまさに君主であっても、人に過ぎないのですから、寿命が来たら死ぬのは当然のことです。
しかし、この詩篇は決して滑稽でない、人間の歴史に繰り返される、深刻な過ちについて物語、その中で、真の神の歴史に介入されることを切実に願う祈りの詩篇なのです。権力者の神格化は古代の遺物ではなく現代にも繰り返しあらわれるのです。今日も世界には神々がひしめきあっているのではないでしょうか。
人の世はいつもパワーゲームの繰り返しのように見えます。しかし、真の神を信じる者は、目に見えぬ真の神こそ真の支配者であることを信じることができます。
「神よ。立ち上がって、地をさばいてください。」と祈りつつ、歩んでいきましょう。
なお、教会は先日の日曜日からイエス様の御復活を祝う復活節に入りました。弟子たちが復活されたイエス様に出会ったときの衝撃はいかばかりのものであったか。そのことを詩篇の82篇の言葉を借りて表現するなら、
イエスこそ 真の神
イエス様こそ いと高き方の子
それゆえイエス様は 人のように死んで終わらず
君主たちのひとりのように 倒れたままでいることがない
死に打ち勝ったイエス様こそ 神々にまさる真の神であったということに弟子たちは気付き驚き、真に崇むべきお方を世界に知らせるものとなったのでしょう。
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