2012年8月30日木曜日

献堂7周年感謝記念礼拝

来る9月2日(日)は新船橋キリスト教会の新会堂献堂7周年記念礼拝です。いわきキリスト教会より増井恵牧師をお招きしてメッセージと午後のレクチャーをしていただきます。タイトルは『仕える教会』2011.3.11以降、多くの経験をされ活動しているいわきの友人牧師より、メッセージをいただきたいと思います。心から期待しています。

2012年8月29日水曜日

エシモンの東にあるハキラの丘

かつてダビデの居場所をサウルに知らせたジフ人たちが、サムエル記第一の26章でもダビデの居場所をサウルに知らせます。サウルがダビデに近づいた夜、ダビデはアビシャイを連れてサウルの幕営を訪れたのはなぜでしょう。荒野での逃亡生活を理解することが鍵になるかもしれません。荒野に逃げるとは、森や木々のある場所に隠れることではありません。人の来ない広大な荒涼とした場所に身を置く事ですから、一度居場所が分かってしまえば、むしろ万事休す、身を隠すものは何もないのです。敢えてサウルに会うために、出て行く必要があったのかもしれません。そこでダビデはサウルを殺害するチャンスに恵まれますが、それは彼の願うところではありませんでした。槍と水差しをもって翌日に備えます。翌日、急には捕えられない十分に距離を置いた場所からダビデが呼びかけますと、しおれたサウルはいのちを助けられたことを悟り、自分の過ちを認めたのでした。ここでもサウルの前で率直に語ったダビデは、サウルを退けることに成功したのでした。「私があなたのいのちを大切にしたように、主はわたしのいのちを大切にして、私を救い出してくださいます。」敵のいのちを奪う事ではなく、敵のいのちを大切にすることこそ、自分のいのちを守ることになる。今日、あらゆる場面に見られる憎しみと争いも、このような解決方法によらなければ、負の連鎖は積み重なる一方なのではないでしょうか。戦が連続するような旧約聖書の歴史の中にも、丁寧に読み解くなら、神は暴力を肯定しておられないということを教えられるのではないでしょうか。

2012年8月27日月曜日

ノアの箱船

8月26日はノアの箱船と題して、創世記6章から学びました。神のさばきの対象となる地上世界は、しかし、今日とどれほど異なるというのでしょうか。わたしたちの歩みについて考えさせられました。しかし当時の世界は、義人ノアによって救いを得ます。ノアは神の言葉に従い、信仰によって救いを得ました。ノアの箱船、大洪水が、今日の私たちに教える教訓は次週以降になりますが、人の罪深さ、しかしそれを覆ってあまりある神の恵み深さを教えられるときでした。

2012年8月22日水曜日

聡明な女性アビガイル

今日はサムエル記第一25章を学びました。愚かな夫ナバルの聡明で美しい妻アビガイルが、援助を断ったナバルの代わりに、ダビデの前へ出て、復讐の血を流さないでくださいと嘆願します。ダビデは道を引き返し、翌朝、すんでの所で生き延びたことを知ったナバルは、しかし、誰の手にもよらず息絶えていきます。アビガイルの賢さは、ただ強者におもねったことではなく、ダビデが主によって王とされていくことを信じて見てとった霊的な賢さであり、王となるダビデが無益な血を流してはならないとの、ダビデに対しても臆せず語った正しい道にありました。そして、このような手段をもっても油注がれた者の道を守られた神様の真実を覚えさせられたことでした。神の御前に、清く、正しく、知恵深く、また勇気を働かせて生きて行きたいもの、と教えられたことでした。

2012年8月19日日曜日

エノク

今日は創世記5章を学びます。神の言葉の厳粛な事実が実現します。アダムの子孫の系図、その名前は神様の御前にひとりひとりが覚えられていますが、みな地上の命を死によって終えていきます。たった一人の例外エノクを除いて。現代人と比較すれば驚くほどの長寿を記録している人々もみな死に絶えていく。神の言葉の厳粛さの前に、人々が絶望する可能性も大きかったのではないでしょうか。しかし、神を恐れ、神とともに歩んだエノクは、地上に屍をさらさなかった。死によってとどめをさせれない命があることを人々は知らされたのです。それがどのようにして多くの人々の救いとなるのか。それはまだ知らされていないことでしたが、神様は死の支配する世界を打ち破る希望のあることを、人に知らせたのです。

2012年8月8日水曜日

油注がれた方に手を下さない。

今日は第一サムエル記24章、および、詩篇57篇を学びました。エン・ゲディの洞穴で、サウルを殺すチャンスを得たダビデ。しかし、彼はサウルに手を下す事に畏怖を覚え、洞穴を出たサウルに、虚心坦懐語ります。神が支配しておられる現状を認め、自分がしても良い事は何か。正しい行為を選び取ったダビデに、深く教えられることです。チャンスが与えられたとしても、正しい事を行う。正しくない事は行わない。そういうことが人生を導くのだということを学び取りたい箇所でした。詩篇は、ダビデが心の中で、問題を霊的に捉えていたということを教えてくれます。目に見える所を、人間的な判断しか下し得ないようでは、祝福を逃すのは自分自身なのだと教えられます。部族連合体のイスラエルが、一人の王をいただく王制国家になり祝福をいただくために、ダビデの選択は確かに有益だったのです。人を押しのけて、自分が活躍するのでない。神様は、ご自身の用いようとしておられる人物を、御心によって最善の時に、引き上げられるのです。私たちは、どんなことがあろうと、神様が最善の時を用意しておられると信ずべきです。それが賢い道です。

2012年8月6日月曜日

カインとアベル

昨日は創世記4章を学びました。罪から罪へと進んで行くカインは、私たち人間が間違った道に進んで行く様を、もののみごとに示してくれています。そして、カインに語りかける神様は、忍耐深く、彼がどの時点でも引き戻るための適切な行為を教えてくれていました。改めて振り返ってみて、最初の小さな罪の重さを思います。最上のものをささげる心のあったアベルと、何の思いもなくささげ物を持ってきたカイン。人格ある神に向き合うということのない形だけの行動、そのことのむなしさ。私たちは私たちを愛しておられる神様に、心をおささげしなくてはならないと教えられるのです。

2012年8月3日金曜日

夏休み

暑い夏が続いていますね。みなさんは如何おすごしでしょうか。新船橋キリスト教会では今年も子育て支援のため、第三金曜日10時半からコーヒーアワー、第四金曜日10時から子育てクラスを行ってきました。7月の子育てクラス、お母様方、幼稚園児、未就園児、たくさんの方々が集って楽しい時を過ごせたことを心から感謝しています。8月は夏休みになります。どうぞお元気でおすごしください。9月にまたお会いしましょうね。

2012年8月2日木曜日

仕切りの岩

昨日は詩篇の背景として第一サムエル記23章を学びました。ケイラを助けても、ケイラには助けられないダビデ、ジフ人たちもダビデのことをサウルに知らせる。人の頼りなさを経験するダビデですが、ヨナタンとの最後の会見が光ります。友に信頼される事、信じていると言葉をかけられることほど人の力づけになる言葉があるでしょうか。ただダビデ王のかたわらで、ヨナタンが仕える日はやって来なかったのです。マオンの荒野でダビデを追いつめるサウル。しかしペリシテの攻撃があり、ここでもダビデは守られたのでした。この事件を背景として詩篇54篇が詠まれています。