2014年4月16日水曜日

希望に立って喜び歌う

 今日は詩篇81篇を学びました。前回前々回の79篇、80篇は捕囚期の試練の中での祈り。今回の81篇も状況変わらないようですが、しかし、音調は、1節「喜び歌え」「喜び叫べ」と聴衆を喜びの讃美に誘っています。民がどのようであろうと力の神は変わらない。必ず助けてくださる、必ず救ってくださる、だから試練の中でも「喜び歌え」「喜び叫べ」なのです。信じる者はどのような時にも神に向かって喜び歌う理由があるのです。
 低い声ではなく「声高らかに」。「タンバリン」「六弦の琴」「立琴」などの楽器も動員して。つま弾くのではなく、「かき鳴らせ。ギターならばアルペジオではなくストロークで力強くといったところでしょうか。
 さらに「角笛を吹き鳴らせ」と。角笛はイスラエルの大集団の招集、出発の合図、祭りの合図として用いられました。新月と満月の祭りの日に。奇しくも教会の暦は今週、受難週。昨日はイスラエルの過越の祭りの初日で、美しい満月を見ることができました。米国では皆既月食も見られたといいます。イエス様が十字架に架けられる前、捕らえられたのも満月の煌煌と煌煌と輝く夜だったのでしょうか。
 そして過越の祭りを喜ばしく祝うのは、それが神様によるイスラエル救済の喜ばしい記憶だったからです。5節以降、救いの歴史が回顧され、にもかかわらず神に背信の罪を犯して現状を招いた自分たちの罪も思い出されます。
 しかし約束の神は、心から悔い改め神に立ち返るなら祝福を戻してくださる。16節、最良の小麦を再び食べさせてくださる神様、蜜で満ちたらせてくださる神様を覚えて、詩人は喜びの歌を終えたのでした。恵み深い神様は、必ず回復の時を備えてくださる。だから信じる者は、落胆し失望するのではなく、希望に立って喜びの歌を歌うのです。

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