2014年4月14日月曜日

棕櫚の主日

 昨日は棕櫚の主日。教会はイエス様の十字架を覚える受難週に入りました。メッセージの聖書箇所も、ルカの福音書からエルサレム入城を学びました。
 今回学んでいて、子ロバの調達に二つの解釈があることを知りました。一つはイエス様があらかじめ手はずを整え、いつか子ロバを借りに来るということを持ち主に伝えていたということ。もう一つの解釈は、イエス様の超自然的な予知能力や、不思議な主権によって、子ロバを借りてくることが何の問題もなく行われたとする解釈。どちらなのかと考えているうちに、聖書の記事そのものが浮き上がってきました。私たちに伝えられているのは、弟子たちがイエス様の言う通りに行動したら、そのように出来たということです。
 もしかしたら、弟子たちも驚いたかもしれないし、いや、あらかじめ準備があったのだと納得したかもしれない。それが奇蹟であってもなくても、イエス様の言う通りにして間違いが無かったという事実は、聖書に記されていることなのです。
 そして棕櫚の主日で最も重要なことは、イエス様がゼカリヤ書9章9節の預言を成就されたということです。軍馬に乗ってではなく、戦いには役に立たない、重い荷物を運ぶロバの子に乗って。イエス様は軍事力によってイスラエルを再興する王でないことを人々に示されたのでした。地上の王国でない、しかし、真の心の王国の真の王様であるということ。
 しかしエルサレムは神の訪れの時を悟りませんでした。平和への道を選びとることができませんでした。エルサレムを見て泣いたイエス様の預言の言葉は40年後に実現します。武装蜂起したイスラエルは、初めはローマの支配を圧倒したものの、最終的にはエルサレムは火を放たれ、残党はマサダの要塞で全滅。女子供までも殺戮される惨劇が起こったのでした。
 国が国に敵対して立ち上がり、民族が民族に敵対する今の時代、私たちも、滅びに至る道、平和に至る道を選び間違えることのないように、子ロバの背中に乗られたイエス様についていくものとさせていただきましょう。

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