2013年5月29日水曜日

ソロモンの祈りへの神の応え

今日は列王記第一の9章を学びました。9章はソロモンの祈りに対する神様の応えで始まります。聖書の神様は、真心からの祈りと礼拝に応えられる神様です。そして、御言葉に従うなら王国の王座は永遠に確立する、しかしそうでなければ神殿も民も投げ捨てる、イスラエルは諸国の物笑いとなり、なぶりものになるとの約束の言葉が与えられました。聖書の神様は、決してイスラエル民族に対する無条件の神ではなく、神に従うものを祝される、正義の基準を持っておられるお方でした。聖書の歴史は人が主役ではなく、人の歩みを見つめる神ご自身が確かにおられるのです。章の後半は、様々な事業を成し遂げ、神様の祝福をいっそう確かなものとするソロモンの歩みが記されています。神様は、神様を礼拝し、御言葉を守り行う彼と彼の民を、確かに祝福しておられたのです。

2013年5月19日日曜日

若き日のモーセ

今日は、若き日のモーセと題して出エジプト記2章からメッセージをしました。若き日のモーセと言っても、0歳から80歳までですから、イスラエルを救う指導者として立つ前のモーセと言った方が精確かもしれません。神様に守られて、パロの娘の子として成長することがゆるされたモーセの誕生も、印象深い物語ですが、大人になったモーセが迫害されている同胞に同情するあまり、エジプト人を殺害してしまい、エジプトに居れなくなってしまうことは、非常に興味深いことです。同胞を救いたいというモーセの若き日の願いは挫折したのでした。彼の行動は、パロの敵意をかっただけでなく、同胞にも理解されないものであった。恐怖と失意の中で、モーセはミデヤンの地に逃れたことでしょう。そこで、同胞を救うなどという夢は捨てて80歳の時を迎えようとする。砕かれたモーセでした。しかし、このモーセが、後に謙遜なリーダーとして使命を成し遂げる。若き日の失敗は、神様のご計画の中にあって決して無駄なものではありませんでした。失敗を乗り越えてこそ、用いられる器になる、私たちを用いようとしておられる神様に期待させていただきましょう。

2013年5月15日水曜日

ソロモン王の宮殿建設

今日は列王記第一の7章、ソロモン王の宮殿建設を学びました。6章38節、神殿建設が7年しかかからなかったのに、自分の居場所、宮殿のためには13年かけた。その大きさも2節によると神殿よりも広い。ソロモンは神よりも自分を大切にしたのか、と誤解しそうになりますが、そうではありません。神殿建設を何よりも重要なことと考えた彼は、先の7年で神殿を建設し、宮殿は後回しにしたということなのです。広さは広いですが、その記述は12節までで終わるおおざっぱなものです。7章のほとんどの部分は、神殿の周囲にあるもの、また神礼拝に用いられる青銅の製品についてのおびただしい記録になり、これらのものが完成して、主の宮のための工事終了が宣言されます。イスラエルは確かに祝福され、金がふんだんに用いられた神殿、レバノン杉がふんだんにもちいられた宮殿、そこに必要な様々な道具、滞りなく作ることができたのでした。列王記という書物が完成したのは、イスラエル王国が滅んだ後のことです。かつては神と共に歩む王、ダビデ、ソロモンの時代に、本当に神様はイスラエルと共にいて祝福してくださった。そのことを胸に刻むことは、なぜその祝福を失ったのかという深い反省、悔い改めにつながっていく歴史を通してのメッセージなのです。

2013年5月8日水曜日

ソロモンの神殿建設

今日は列王記第一の6章より、ソロモン王の神殿建設を学びました。まず1節で出エジプト以来の年月が数えられていることに注目させられます。約束の地を与えるとの神様の約束が、ただの土地の所有だけでなく、1つの国民として繁栄をゆるされて、神殿建設にまでこぎつけたことを聖書の記述者は覚えているわけです。アブラハムからおよそ1000年、モーセからおよそ500年、目に見えない神様の忍耐深い導きを覚えさせられると同時に、またその神を信じて歩んだイスラエルの民の信仰も教えられます。そして、2節から10節までは神殿の各部分のサイズ、14節から36節は内装その他。神殿の目に見える部分の概要が記録されている、その記述の間にはさまって、11節から13節のもっとも重要な主の言葉が記録されています。「…もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、…。わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」神殿は、幕屋を受け継いだ「神、ここに居ますしるし。」しかし、しるしはしるしであって、その本質は「御言葉」を守り行う神の民と、神は共にいてくださる、その本質は忘れてはならないことでした。神の言葉に聴いて従い行う、信仰の生活の実質があってこそ、神は共におられるお方なのでした。ですから、ソロモンの晩年の堕落、偶像礼拝は王国に分裂をもたらし、やがて国は滅亡の時を迎えるのです。