2013年1月17日木曜日

本日は

10時半よりウェストミンスター小教理問答の学びをいたします。少人数の学びです。

2013年1月16日水曜日

人のはかりごと、神のはかりごと

本日の祈祷会はサムエル記第二の17章を学びました。都落ちしたダビデを、一万二千の兵士で襲い、ダビデの首を持ち帰ろうと王に申し出る軍師アヒトフェル。彼の言葉は人々の同意を得る賢いはかりごとでアブシャロムと全長老の同意を得るのですが、アブシャロムは、フシャイの意見も伺い、確信を得ようとしました。
フシャイはアヒトフェルの助言を打ち壊すために、彼も知恵を尽くして彼のはかりごとを述べます。アブシャロムに疑われることのないように、言葉を選び、アブシャロムの自尊心をくすぐり、人々の考えを自分になびかせることに成功します。
しかし聖書は、主がそれを願っておられたからだと、主なる神様のはかりごとが成ったのだということを告げます。
それを証明するような事件がやがて起こったのでした。
フシャイがアブシャロムを騙した後、ダビデに逃亡の時を知らせる密使、ヨナタンとアヒマアツの行動が、アブシャロムにばれて、彼らに危険が近づいたのですが、彼らは無名の婦人によって匿われ、初めて目的を達成することができました。
人のはかりごとが、どれほど入念に考えられ、実行に移されたとしても、神の助けがなければ、物事は成就しなかったのだ、そう聖書は告げているのです。一時、時代の追い風を受けたかに見えるアブシャロムは、やがて滅んで行く事になり、今、辛酸を舐め、忍耐を強いられているダビデが、再び王座に返り咲くことになります。神の御心がどこにあるのか、見極め、憐れみ深い神様と共に歩むものとさせていただきましょう。

五教会新年聖会

すぐる1月14日は五教会新年聖会を行いました。
私たち新船橋キリスト教会は日本同盟基督教団、千葉宣教区に所属していますが、近隣の五教会はスイスアライアンスミッションの宣教によって生まれた教会として関わりが深く、我孫子のラザロ霊園に共同墓地を持っています。そして墓地を共有するだけでなく、五教会青年の「ゴパンの集い」や新年聖会を共に行っています。
今年の新年聖会では午前中の礼拝で下川牧師がメッセージをし、また「教会福音讃美歌」の紹介をいたしました。昼食をはさんで午後には、恒例の教会紹介、そして吉村美穂姉(ソプラノ)、岩塚多佳子姉(ピアノ)による讃美コンサートを行いました。どの曲も素晴らしく、またお二人のお証しも感謝でした。個人的にはアンコールの「主の祈り」、力強い神様への讃美で締めくくられていたことが印象に残っています。素敵な声、しかし、それすらも神様のゆるし無くしては、決して自分の力だけで完全にコントロールできるものではない、神様の前での謙遜な姿勢に教えられたことでした。
外はどんどん雪が降り積もり、野田線の本数も少なくなっていくことが感じられましたが、暖かい会堂の中では打ち解けた和やかな雰囲気で、新しい年の交わりが続いたことでした。
大雪に見舞われたこの日は、帰途はそれぞれに大変であった報告をうかがっています。雪国であればたいしたこともない降雪量ですが、慣れていない私たちには大事件でしたね。新しい年も、主の守りを祈りつつ、共に歩んでまいりましょう。

2013年1月13日日曜日

ソドムの滅亡

今日は創世記19章から「ソドムの滅亡」と題して説教をしました。説教題を外看板の掲示板に掲載してから、恐いタイトルだなあと思っておりましたが、「聖書が語っていることですから、ちゃんと語ってください」と言ってくださる方に励まされて、今日、お話しをしました。
旅人を、アブラハムと同じように丁重にもてなすロト。しかしその人々に、破廉恥な乱暴を働こうとするソドムの人々。
この詳細な記述は、ソドムの街がいよいよ赦しがたい、全く悪に染まった街であったということを私たちに告げています。
前章でのアブラハムの執り成しに、意味がなかったということではないのです。アブラハムの執り成しを、確かに主は聴いてくださっていたのです。それなのに、たった一人も正しいことを訴える人もいなかった、ソドムは、滅亡することになるのです。
主なる神様は、ご自分の造られた人を、最期の最期まで忍耐深く、悔い改め、神に立ち返ることを待っておられます。しかし、善と悪をさばかない方であるということではない。悪にはさばきを、明白にされる正しい神なのです。
ソドムの滅亡に際して、興味深い人間の行動が聖書には記されています。
ロトを介した警告の言葉を「冗談」としかとらない婿たち。
ロト自身も脱出という選択肢について「ためらう」。
そして逃亡した後で禁じられていた後を振り返るという行為によって「塩の柱」とされてしまうロトの妻のこと。
決して、太古の神話ではありません。今日も、私たちを襲うかもしれないさばきの時に、免れ、生きのびるものとなるすべを教えています。
警告を侮ってはならないこと。ためらわずに、即座に逃げ出さなければならない状況があるのだということ。
逃げる時には、とにかく安全な場所までたどり着くまで後を振り返ってはならないこと。いずれも、私たちが最近経験した事実と合致することです。
聖書は、私たちに、いきのびるすべを教えている。あらかじめ教え、今日の私たちが、賢明に生きることを、真の神様は望んでおられる。愛の故です。私たちを愛し、私たちの幸いを望んでおられる神様を信じ、今日を、明日を、生きるものとさせていただきましょう。

2013年1月5日土曜日

わたしはよみがえりです

昨日わたくしたちは愛するH姉を天に送りました。2013年に誕生日を迎えれば88才になる、波瀾万丈の人生を送られた方でしたが、幼少の頃からキリスト教に触れる機会に恵まれ、洗礼を受ける恵みにあずかられたことでした。訪問して伺ったお話し、一緒に楽しく食事をしたことなど思い出され、お別れの時は悲しくもありますが、しかし、私たちは親しくさせていただいた兄弟姉妹を天に送るごとに、いっそう天国が身近に感じられる恵みを味わいます。目に見える地上の現実ばかりに心奪われて、永遠の時の流れの中での今の自分という事を忘れかけている、そのことに気付かされます。ヨハネの福音書11章25節でイエス・キリストはこう言っておられます。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。イエス様がそう言っておられるのでなければ、到底、信じがたい言葉ですが、イエス様はそう言われた。死んでも生きる、永遠のいのちに移されたH姉のことを覚えつつ、私たちも地上の生涯を生かされている限り生き抜くものとなりましょう。

2013年1月2日水曜日

本日(1/2)はお休み

本日の聖書の学び・祈祷会は、午前、夜、ともに、各自・各家庭となります。よろしくお願いいたします。

2013年1月1日火曜日

あなたがたは世界の光です。

今日は元旦礼拝でした。マタイの福音書5章13−16節より「あなたがたは世界の光です。」と題してメッセージをしました。第一に大切なことは、イエスさまが弟子たちに、塩になりなさい、光になりなさいと言われたのではなく、塩です、光ですと言われたことです。イエス・キリストを知り、信じた人は、そのことで、世にはない塩気、世にはない輝きをすでに身に帯びているのだということを認識すること。これが大切です。その上で、塩は食材の中に入り込んで、腐敗をくいとどめる働きをする。あかりは台の上に置いて周りを照らすためのものであり、隠された所に置く人はいない。そのように、外へ出て、塩として、光として役割を果たすよう、私たちはイエスさまから期待されているということを覚えたことでした。世の中が朽ち果てて行くようならば、塩気を働かせないクリスチャンが問題なのです。世の中が暗いなら、あたりを照らさないクリスチャンが問題なのです。神様から与えられた使命をまっとうする教会でありたいと教えられたことでした。