2012年5月22日火曜日

先日の日曜日は

主イエス様の昇天を憶える主の昇天の主日で、使徒の働きの1章、イエス様の昇天の記事を学びました。聖書にはわたしたちの常識では信じがたい事柄が記されているので、本当に驚きます。イエス様が死からよみがえられたこともそうですが、弟子たちが見ている間に上げられて、雲に包まれて見えなくなったということも不思議なことです。いったいどこへいったのでしょうか。ただわたしたちに残されているのは、イエス様が、天に上げられたのと同じ有様でまた地上に来られるという約束の言葉なのです。

2012年5月16日水曜日

信仰者は

その生涯の晩年に悟りと平安に達するのであろうか。詩篇39を読む限りでは、生涯の終わりの近いことを感じつつも、詩人は達観の域に到達しているとは到底言えない。心の悶えがあり、命のはかなさが思われ、霊の弱り果てていることを神に訴えている。赤裸々で弱々しい霊は、凡人と何も変わらないように見える。しかし、そのことを聴いてくださる神を信じて祈る、それだけが、信じる者と信じない者をへだてることになるのだろう。

2012年5月6日日曜日

わたしを愛しますか

今日は復活のイエス様がペテロに向かってわたしを愛しますかと三度問われた場面を学びました。師に従いきれずそんな人は知らないと強くイエス様を否定したペテロ。その心の傷に、敢えて近づき、本当の癒しを与え、彼を再び立たせて行くイエス様の愛情に満ちた召しの声を、わたしたちも同じように聴く思いがしました。そしてペテロは神の栄光を現す生涯を生き抜いたとの、彼の生き様を見届けた別の弟子の声も響いていました。キリスト教は、イエス様がわたしたちを生かしてくださる道、そのように思いました。感謝します。