2011年11月28日月曜日

アドヴェント第一主日

昨日はアドヴェント第一主日、恒例の讃美歌94番「久しく待ちにし」を歌いました。これまでこの歌を歌う時には、救いを待ち望むイスラエルの民を思い出し、イエス様は生まれてくださったのだと過去を思うことが多かったのですが、今年は、今のわたしたちの歌として歌う意味があるのだ、いや、いつだってその意味が存在していたのだと思われたことでした。「主よ、主よ、御民を救わせたまえや。」

2011年11月21日月曜日

洗足

昨日は洗足の場面の説教でした。イエス様に足を洗っていただくことを遠慮するペテロには私たちの犯しやすい間違いが垣間見えています。遠慮という偽善で真実をごまかさないように、恵みを受け損ねないように、そう思わされたことでした。また互いに足を洗い合いなさいと言う教え、今の私達に本当に必要な教えでした。実行したいと思います。

2011年11月14日月曜日

子供祝福合同礼拝&チャペルコンサート

昨日は子供祝福合同礼拝を行いました。私たちの教会にも小さな子供たちが増えてきて感謝です。一歳児二歳児に向かって聖書のみことばを語ります。すべての事を理解できなくても、知ろうとする子供たちの吸収力はすばらしいです。牧師の祈りに、アーメンと唱和する瞬間を待ち構えている子供たち。本当に励まされます。午後はクラリネットの柳瀬洋さんをお招きしてコンサートでした。伴奏は奥様の佐和子さん。微妙な所も呼吸と表現を合わせた演奏、ご夫婦であることもそうですが、呼吸を合わせるという努力の営みを感じさせられました。また幼い頃から一生懸命取り組んできた音楽、これを神に向かってささげることができると気づいた瞬間のこと、神の前に生きるかけがえのない自分に気づいた瞬間のように聴こえました。そして余分な力の入らない演奏ができるようになったこと。絶対者なる神に出会うということは、有限の私達にとってどれほどかけがえのないことかと、改めて教えられたことでした。感謝いたします。

2011年11月10日木曜日

Jesu meine Freude

本日は家庭集会、メンバーのお一人Oさんが、参加している合唱団で取り上げる合唱曲、J.S.バッハのモテット"Jesu meine Freude"を取り上げて、その歌詞と挿入されているローマ人への手紙8章の聖句を学びました。私は教会音楽を専攻に学ばさせていただきましたが、カンタータに比べて地味なモテット、これを正面から学んでみる機会は初めてでした。驚きました。「バッハはこれまでに存在していたあらゆるジャンルで最高の作品を書いた」その言葉が、このモテットにもあてはまることに唸らされた次第です。全6節からなるドイツコラール。その間に挿入された聖書の言葉は、讃美歌の心情の展開を、教理的に裏付けています。そしてその言葉に付された音楽は、言葉をよりいっそう印象的に私たちに伝えています。人間の声のみが素材で、器楽などの助けは、あっても補助的なもの。切り詰められた可能性の中で、しかし、比類なき高み達する芸術、教会音楽作品。かめばかむほど味わいが増す人類の遺産。救われたキリスト者は実際どのようにして成長するのか。家庭集会は小さな集いですが、皆さん意欲的に学んでくださって大変すばらしい時を過ごす事ができました。バッハの音楽がそもそも魅力的ですし。Oさんのコンサート本番が本当に楽しみなこととなりました。

2011年11月6日日曜日

光を信じなさい

本日は「光を信じなさい」と題してヨハネの福音書より説教しました。でも大切な言葉は、この直前にある「光ある内に」という認識です。十字架の死を目前にして、時はいつまでも残されているわけではないということをはっきりと語ったイエス。これは、この言葉を聞いたユダヤの群衆のみならず、現代の私たちにとっても同じことです。時はいつまでも残されているわけではない。ゆるされている時の中で、光に出会い、光の中を歩み、光に属するものとなる。私たち人間は生きている限り、必ず有限の自分の限界と向き合う時がくる、その時の備えがあるか。問われたことでした。来週は、子供祝福礼拝、チャペルコンサートが行われます。