2014年10月6日月曜日

マルタとマリヤ

 私の大好きなピアニストに、マリア・マルタ・アルゲリッチという女性演奏家がいます。私が学生の頃には、ヴァイオリニストのギドン・クレーメルと楽しげな競演を聞かせてくれていました。チャイコフスキーのコンチェルトも、素晴らしい録音がありました。マリア・マルタ、、、という名前、聖書には対照的な二人の姉妹として登場します。アルゲリッチの中では、二人の姉妹の両方の特徴がせめぎあっているのでしょうか。
 聖書に登場するマルタとマリヤは、ベタニヤという村の二人の姉妹。他にラザロという兄弟もいますが。イエス様と交わりのあった友人たちです。
 マルタはイエス様の訪問を知ると、いちはやくもてなしのために行動し始めます。ところがマリヤはイエス様のそばに座って、イエス様の語られる言葉にじっと耳を傾けている。もてなしに心奪われているマルタは、マリヤにも手伝うように言ってください、とイエス様に願うのですが、イエス様は、マリヤが、必要なこと、良い方を選んだのだとマルタに返答します。
 マルタの行動からは、彼女なりにイエス様の存在を喜び、歓迎したい、気持ちがあふれているのを汲み取ることができます。しかし、それはイエス様に対する適切な向き合い方ではありませんでした。
 私たちは、人の良かれと思って行動しているのに、空回りに終わることはないでしょうか。向き合っている人の言葉にじっくり耳を傾けず、こちらの思いで行動して、的外れなことがよくあるのです。
 それに対して、マリヤは、じっくりイエス様の言葉に耳を傾けていました。イエス様が何を望んでおられるのか、彼女は理解しようと時間をかけ、おそらくは、それを聞いてから行動したのではないかと思います。
 人と向き合う時に、その人が何を本当のところ求めているのか、じっくりと耳を傾け、理解して行動したいものです。
 また神様の御心をなすということも同じでしょう。神様の御声、聖書の言葉をじっくりと聞く、これがあってこそ、神様の御心にかなう行動ができるというものです。
 御言葉に聴きいる。そして、その神の言葉が、わたしたちの心の中で、からだの中で、息づき、行動をうながすようになる。そのような行いを持つものでありたいと思います。

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