2014年10月4日土曜日

変奏曲

 私たちの教会では、マナの聖書日課に従って聖書通読をしている。現在は箴言。箴言は知恵の書。興味深い訓戒の言葉の宝庫。しかし繰り返しもとても多い。なぜだろう。

 同じような言葉繰り返される。しかし、微妙な言い回しの違い。前後関係。こちらが注意を注ぐなら、巧妙なバリエーションになっていることは間違いない。

 先日、バッハのシャコンヌを聴く機会を得た。これも繰り返しの芸術。一定の和声進行が何度も繰り返されるが、それが見事なバリエーションとなって、注意深く聴くものの耳を楽しませる。

 優れた音楽家が優れていることの一つの特徴は、一つの素材を使ってどれだけのバリエーションを創作できるかということだ。そして、そのバリエーションは一つの事柄に沢山の角度から光をあてる。

 聖書を読むこともそういうことだろう。主題が沢山あるわけではない。しかし、一つの主題に色々な角度から光をあてる。日々読み進める中で、その主題が、自分の中に、血となり肉となっていく。

 ああ、もうそのことはわかった、と言って、日々、向き合うことをやめてしまうと、深みに到達することなく、終わってしまう。

 なぜ同じ話題が繰り返されているのか。それがわかるまで読み続けることだ。同じことが繰り返されている中で、何が違うのか。

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