2013年11月29日金曜日

年老いて

私たちの教会では、毎月第四木曜日の午前、ピレモンへの手紙を学んでいます。教科書は「ピレモンへの手紙講録」(小畑進著、いのちのことば社刊)。昨日は十五、白頭掻けば、まで進みました。自分のことを年老いて、と描写するパウロ。イエス・キリストに出会う前の熱心なユダヤ教徒であったパウロと、逃亡奴隷のとりなしのために言葉を尽くす老境のパウロ。イエス・キリストに出会うということが、人間をどれほど変えるのか、愛の人とするのか、思い知らされたことですが、年老いてとは何歳を指すのか。注にあげられた聖書解釈者たちの諸説に注目が集まりました。「先生はどこに入る?」「わたしはどこに入る?」メンバーはみなパウロの言う”プレスブテース”を遥かに超えた”ゲローン”にあたるということがわかりました。パウロもまだ若い?いえいえ、伝道者生涯を駆け抜けて、最後はローマで時を過ごしている彼は、肉体の衰えを日々痛感していたのでしょう。しかしその中で、また新しく生まれたクリスチャン、逃亡奴隷オネシモのために、骨折る労をいとわなかったのです。

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