2013年11月6日水曜日

ダビデ北方遠征中に

今日は詩篇60篇を学びました。この詩篇は、ダビデの王権が確立する直前、エドムに勝利する戦の少し前の状況を背景としているようです。サムエル記第二を見ますと、勝利のみ記されていますが、困難な状況を経ての勝利だったようです。1〜3節では、神に拒絶されている様子、大地が揺らぎ、主の癒しを必要としているような、地震でもあったのでしょうか。そして3節、苦難をなめさせられている。よろめかす酒を飲まされた、とは、足がふらついて立つこともままならないような、試練、恐怖が彼らを襲っていたことを推測させます。
しかし、4節、主は主を恐れる者のために旗を残された。本丸はまだ落ちていない。振り仰げば力を得られる助けがある。
その希望通りに、5節、詩人が助けを求めると、6節、聖所から主の勝利の約束の言葉が与えられます。
9節から、しかしイスラエルは辛酸をなめました。おそるおそる戦いに主が同行されるのかと問いかけます。しかしこれは不信仰、疑いではありません。主が共にいてくださらなければ、戦うことはできない、主よ共にいてくださいという祈りです。
だから結論、11節、人の救いはむなしい。12節、神によって、私たちは力ある働きをします。と信仰を告白するのです。
イスラエルは勝利に酔いしれて、神によりたのまなくなっていたのでしょうか。成功の時に、それを自分の力のゆえであるかのように過信することが、私達にはあるのです。しかし、多くの状況が神様によって整えられることなしには、私たちの成功は存在しないのです。
神によって、力ある働きをする、人生の秘訣をこころえたいものです。

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