2013年11月20日水曜日

王となってからのダビデ

 ダビデの前半生はサウル王に命を狙われる危険という試練がありましたが、後半生は、姦淫の罪を犯した後、罪は赦されますけれど、家庭内の問題が子どもたちの王位継承権争いにつながり、またまた大変な試練を経験します。最終的にはソロモンに王位を渡し、神殿建設準備を成し遂げて、地上を去るダビデは、一人の罪人でありながら、神様と共に歩み続けた、やはりイスラエル最高の王様、詩篇62篇はそのダビデの祈りの世界を伝えているのでしょう。
 3節、命の危険がある。4節、彼を王位から突き落とそうとする人々がいる、この困難な時を、彼は祈りで乗り切りました。
 1節、私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
 彼は試練の時もまた神様の支配の中にあることを信じていましたから、やがて神様の御心の時には、救いが訪れるだろうと信じる信仰に立つことを選び、黙したのです。人につぶやかない。自分で策をろうしない。アブシャロムと戦わずに逃げたダビデは、賢明な信仰の道を選んだと言えるでしょう。
 2節、神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。やぐらと訳されている言葉は、要塞です。古代イスラエルの要塞の遺跡は、石造りの堅固な城とも言えるようなもの。これならば敵との戦いに役立つだろう。しかし、ダビデは今、その要塞で敵を迎え撃つことが勝利につながるとは考えていませんでした。サウルから逃亡した時に、どこに逃げても、目に見えない神ご自身より頼りになるお方はいないと確信したダビデは、人生の後半で、もう一度、その信仰に立つ祈りをささげ、確信を深めたのでした。11節、神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。という言葉は、神の教訓が昔から変わらないこと、しかし、人はその教訓を、経験のごとに、確かな信仰へと変えていくものなのだと教えられます。
 王であるダビデが10節、圧制にたよらなかったこと、略奪をも繰り返さなかったこと、富にもより頼まなかったことは、大変、知恵深い道と言えるでしょう。この世の多くの権力者が、おのれの力に頼り、富に頼り、滅んでいくことと、実に対照的なのです。

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