2013年1月16日水曜日

人のはかりごと、神のはかりごと

本日の祈祷会はサムエル記第二の17章を学びました。都落ちしたダビデを、一万二千の兵士で襲い、ダビデの首を持ち帰ろうと王に申し出る軍師アヒトフェル。彼の言葉は人々の同意を得る賢いはかりごとでアブシャロムと全長老の同意を得るのですが、アブシャロムは、フシャイの意見も伺い、確信を得ようとしました。
フシャイはアヒトフェルの助言を打ち壊すために、彼も知恵を尽くして彼のはかりごとを述べます。アブシャロムに疑われることのないように、言葉を選び、アブシャロムの自尊心をくすぐり、人々の考えを自分になびかせることに成功します。
しかし聖書は、主がそれを願っておられたからだと、主なる神様のはかりごとが成ったのだということを告げます。
それを証明するような事件がやがて起こったのでした。
フシャイがアブシャロムを騙した後、ダビデに逃亡の時を知らせる密使、ヨナタンとアヒマアツの行動が、アブシャロムにばれて、彼らに危険が近づいたのですが、彼らは無名の婦人によって匿われ、初めて目的を達成することができました。
人のはかりごとが、どれほど入念に考えられ、実行に移されたとしても、神の助けがなければ、物事は成就しなかったのだ、そう聖書は告げているのです。一時、時代の追い風を受けたかに見えるアブシャロムは、やがて滅んで行く事になり、今、辛酸を舐め、忍耐を強いられているダビデが、再び王座に返り咲くことになります。神の御心がどこにあるのか、見極め、憐れみ深い神様と共に歩むものとさせていただきましょう。

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