2012年1月10日火曜日

一神教は排他的か。

今日の聖書はイザヤ書41章42章でした。42章にこのような言葉があります。「彫像に拠り頼み、鋳像に、『あなたがたこそ、私達の神々』と言う者は、退けられて、恥を見る。」このように、ユダヤ、キリスト教は、偶像礼拝を忌み嫌いますが、その本質は神ではないものを神のごとく崇めるということと言えるでしょう。だから何が神なのか、あるいは、何が神の言葉なのか、このことに徹底的にこだわるわけです。他宗教を批判することをよしとしているのではないと思います。私は最近佐藤優氏の著作を拝見させていただいていますが、氏の入信の動機を知って興味深く思いました。キリスト教の外の人々よりも一層厳しくキリスト教会を批判する真実な声をキリスト教会の中に発見したので、自分はクリスチャンになったとのことです。理解に間違いがありましたらご容赦ください。誰が神か、何が神の声なのか、このことに対するこだわり、大切にしたいと思いました。

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