2014年1月6日月曜日

少年イエス

昨日はルカの福音書2章の最後の部分、12歳の少年イエスについて学びました。12歳はイスラエル男子の成人一年前。イエス様は翌年の過越の祭りへの参加のための予習として、エルサレムを訪れたとのことでした。この頃には成人男性の義務を、女性も行う慣習になっていたようで、母マリヤもそこにいました。
そこでイエス様はエルサレム神殿にいる大人たちを驚愕させる知恵を披露します。知恵とはギリシャ語でソフィア。今日、哲学とも訳される、生き方に関する知恵です。
さらに母マリヤの言葉に返答してイエス様は、エルサレムの神殿のことを「自分の父の家」と呼んだのでした。エルサレムの神殿は、天の父なる神様の家。ですからイエス様は天の父なる神様をご自分の父と呼んだことになります。
神の民は神の子ですからイエス様は特別なことを言ったのではないという解釈も成り立つでしょうが、しかし、ここは特別なことを言ったと理解すべきでしょう。イエス様は、ご自分を、神の一人子と言ったのです。その意味は、この時、両親に悟られなかった、と福音書が述べているからです。
この箇所の少年イエス様の姿は、少年であるにも関わらず語られた知恵、両親の理解出来ない神の子としてイエス様を告げているので、いささかイエス様、高慢ではないですか、と感じられる方もいるでしょう。
しかし、福音書は神の子であるイエス様が、同時に、この後、大人になって人々の前で宣教の働きを始められるまで、謙遜に両親に仕える若き日を過ごしたと伝えているのです。そして、イエス様の青年時代の姿は、聖書に一切記されていない。確かにイエス様はただの大工の息子として、その姿をしばらくお隠しになられたのです。
「能ある鷹は爪を隠す」という言葉がありますが、真に知恵深いイエス様は、ご自身の知恵、力を発揮すべき時もわきまえて、へりくだることをも知っておられる神の一人子であったということです。
この方がやがてすべての人のためにご自分の命を十字架でささげてくださったのでした。

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