2014年1月8日水曜日

祝福を求める祈り

 今日は詩篇67篇、祝福を求める祈りについて学びました。キリスト教はご利益信仰か?神様の祝福を求める祈りがあるということでは、利益を求めても良いということになるでしょう。しかし、そこには留意すべき幾つかのことがあります。
 詩篇67篇は、私たちをあわれみ、祝福し、と常に人称が複数となっています。私ではなく私たちです。私だけが祝福されれば良いのでない、皆が共に祝福されるように、それが詩篇67篇の祈りです。
 そしてそこには目的がありました。2節、あなたの道が、あなたの御救いが知られるため。3節、国々の民があなたをほめたたえますように。4節、喜び歌いますように。7節、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。
 つまり信じて祈る民に応えて神の祝福があらわされ、この神様はすばらしいということがすべての人に明らかになるように、神が崇められ、神が畏れ敬われるようになる、この目的に通じていることが必要でした。
 すべては神の栄光が現されるように、その中に、私たちの祈りがきかれるということの目的が位置づけられるのです。自己中心でなく、神中心の祈りでした。
 新しい年、私だけの祝福を求めるのでなく、みなが神様の祝福にあずかることを求めて祈りつつ歩んでいきたいものです。そして、私たちの祈りに応えてくださる神様の御名が、至る所で、崇められますように!

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