2011年12月1日木曜日

詩篇18

詩篇18は、すべての敵、特にサウルから、主がダビデを救い出したことを歌った詩篇です。これまでの詩篇の中では最も長く、言葉が尽くされています。1節、主を慕う。これが18篇を貫く基調でしょう。そして2,3節は言葉を尽くした讃美。戦人ダビデが主を何かに言い換えるとしたら、という言葉が続きます。4,5節は、戦を知らない私達からしたら、ひどい妄想と思えますが、目の前で敵が味方が命を落とす場面を日常茶飯に経験していたダビデです。その運命が自分に襲いかかる場面を想像しないことはなかったでしょう。しかし命の危険を知っているからこそ、最後の時には神に叫ぶよりない、そういうことを幾度も経験し、そして助けられたのでしょう。興味深いことに7節以降はありとあらゆる天災が描写されます。地震、火山の噴火、垂れ込める暗雲と竜巻、雷鳴、雹、引き潮と台風。ダビデ自身も津波にのまれたようです。ところが主の御手が彼を救う。そしてこれが敵に対する勝利であった。聖書は、災が人に等しく及ばないと述べているようです。神により頼むものは、水に飲まれても引き上げられる。少なくともダビデはそうでした。決して強くないのに生き残った。その理由が20節以降展開されます。主の道を守ったから、悪を行わなかったから。正しい神は私を救ってくださり、なお立たせてくださる。46節以降は、未来に向けての讃美でしょう。ところで戦人ダビデの正しさはどんなところにあらわれていたでしょうか。自分の命を付け狙うサウルを殺す機会を得たのに、手をかけなかった、そんなことが思い出されます。

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