2012年10月29日月曜日

王たちの戦い

昨日は創世記14章を学びました。古代中近東の世界でいくつもの王国がひしめき、王たちがせめぎあう時代、支配的なエラムの王、ケドルラオメルに反逆する人々。この戦のあおりをくって、ソドムの住人となっていたアブラハムの甥ロトは、家族、財産もろとも連れ去られることになりますが、この知らせを聞いたアブラハムは、318人のしもべを招集して追跡、甥とその家族、財産を取り戻すことに成功します。この物語を信仰をもって読まなければ、それはどの王が勝ちどの王が負け、誰が被害を被り、誰が分捕り物を得たというただそれだけの記録に過ぎないでしょう。しかし、信仰を持ってこの物語を読むならば、目に見えない天地万物の創造主なる神の御声を聞いて、人生を歩み始めたアブラハムの生涯が、戦乱の時代にも神に導かれたということの証しなのです。そして、古代の王たちの栄華を引き継ぐ人々はもはや存在しませんが、信仰をもって創造主なる神を仰ぎ見る民は、今日も、面々と続いているのです。アブラハムのもとを訪れるシャレムの王メルキゼデクは、信仰の道を彼に教えます。「祝福を受けよ、天と地を造られた方、いと高き神より。」祝福とは何か?これも地上のことばかり、目に見えるものばかりに心奪われていると理解出来なくなってしまう言葉です。神の祝福を求める生き方、これこそ目標を見失わない、人の目指すべき本来のものなのです。「いと高き神に誉れあれ。」アブラハムを勝利に導かれたのは神ですから、神こそほめたたえられるべきお方。そして他方、アブラハムはソドムの王からの贈り物を拒否します。私たちは何を求め、何を拒んで生きるべきか、考えさせられるところです。

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