2012年10月3日水曜日

ダビデによる哀歌

今日はサムエル記第二の1章を学びました。初めにツィケラグにいるダビデの元に一人のアマレク人がサウルとヨナタンの訃報を知らせます。彼の語ることはサムエル記第一の31章に記されたサウルの最期の様子と、微妙に異なっているのですが、おそらくは偽りを語り、自分がサウルを殺したことを手柄として、ダビデから報償を受け取ろうと考えたのではないでしょうか。ところが彼が想像していなかったことが起きます。ダビデ以下家来たちまでもが、激しい悲しみに陥ったのです。サウルから命を付け狙われていたダビデ。第三者から見ればサウル憎しの心情をダビデが抱いていてもおかしくない。しかし、ダビデは油注がれた王であるサウルを真心から敬い、慕っていたのです。少なくとも、聖書にあらわれているのは、ダビデのサウルに対する敬いの心情です。上辺だけの悲しみで、衣を引き裂くでしょうか。一日のこととは言え、断食をするでしょうか。そして俺はサウルを殺してやったと自慢げに話すアマレク人は、油注がれた方に手をかけて恐れなかったことのゆえに処刑されていくのです。
この章の後半は、サウルのため、ヨナタンのために作られたダビデの哀歌です。詩篇などの信仰の詩に比較すると、この歌には宗教的な要素はほとんど見られません。しかし、それだけにダビデが文才、詩人としての賜物に溢れていて、その力を非常な悲しみの中で遺憾なく発揮したことがわかります。至るところに並行法が用いられて、ダビデの感情が、技巧によって深く表現されようとしていることが読み取れます。情景の移り変わり、主題の順序も深く考察されています。23節、サウルとヨナタンの業績をたたえるダビデは、やはり王と王子を深く敬っていたのでした。またとりわけダビデに対して誠実な友情を示し続けたヨナタンの死は、彼にとって最大な悲しみとなったことでした。
ダビデは決して、サウルを憎み彼と戦って、彼を王位から追い落としたのではありませんでした。油注がれた王を敬い、しかるべき時に、神が彼を王とするのです。

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