2012年2月8日水曜日

私を弁護してください。主よ。

今日は詩篇26篇を学びました。「私を弁護してください。主よ。」この所の詩篇は、極めて個人的な嘆願が続いていますが、その内容はおよそありのままの私たちからは生まれでて来ないような祈りです。こんな言葉を神の前で述べることができるのか。偽善では意味がありません。しかし、正直な自分を神の前においていくとき、私たちは祈りによって益を得るのでしょう。主に信頼を置くことは、主に認めていただける価値のあること、これも有神論的世界観にたっていないと理解できない言葉と思いました。神が私たちを愛し、私たちのために最善を為そうとしておられる人格的な方ならば、試練の中で失望したり、絶望したりすることは、神を悲しませることになります。苦しみの人ヨブは、人格的に神を信頼していた、そのような交わりの中にいたのだということが思い出されました。

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