昨日学んだヨハネの福音書3章の結び、印象に残るのはバプテスマのヨハネの潔さです。それは彼にとっては当然のことでしたが、彼の弟子たちがそうでなかったことと比較すると歴然です。
イエスが来られたというのに、人々がイエスの方に集まることを苛立たしく思う、妬ましく思う。本当に大切なことが見えていないと、私たちは自分を自分の利益を守ろうとして、心の中に間違った思いを培うことになるのです。
ところがバプテスマのヨハネは、喜んでいました。自分が衰え、その働きを終えていくことが分かっていても、天からいただいた使命を全うし、花嫁の花婿が到着したことを喜ぶ友人のように、多くの人の幸いを共に喜んだのです。
潔い人生、自分はこのように生きれるだろうかと問われました。
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