2012年9月24日月曜日
ノアの子どもたち
昨日は創世記9章10章より、ノアの子どもたち、その子孫たちのことを学びました。酔っぱらった父の裸を兄弟に告げ、ハムとその子孫には呪いが宣告されます。ただ、それだけのことで?また酔っぱらったノアに責任はないのか?そんな疑問も湧くのですけれど、聖書は、人の恥ずかしい姿を見て物笑いの種にするような、私たちの心の中にある醜い部分を鋭く批判しているのではないでしょうか。他方、セムとヤペテは着物を肩にかけ、後ろ向きで父に近づきます。そこまでしなくても、と思うかもしれませんが、これが敬うべき父に対するふさわしい行為だと聖書は語るのです。愛は礼儀に反することをせず、愛は多くの罪を覆う。姦淫の現場で捕えられた女性から視線を背けるために、イエス様は地面に何か書いておられたといいます。見ない愛、とでも言えるでしょうか。人の弱さ、人の醜さ、人の罪深さをあばきたてて、笑い声をあげる、そんな人間に堕してしまわないように、と教えられたことでした。
2012年9月19日水曜日
主に伺う
今日はサムエル記第一の29章、30章を学びました。ペリシテの町ガテの王アキシュの元で、対イスラエル戦争に参加しようというダビデ。しかしペリシテの他の首長たちはダビデの裏切りを懸念し、アキシュにつぶやきます。アキシュはダビデを信頼していましたが、首長たちの手前、ダビデを陣営から退かせます。しかし問題はその間に起こっていました。戦士たちのいないツィケラグを、アマレクが襲い、女子供たちをみな連れ去った後だったのです。ダビデの家来たちは悲しみ、ダビデに対する不満が噴き出します。
その時にダビデは祭司エブヤタルを介して、主に伺いをたてたのでした。28章で霊媒師を訪ねるサウルと対照的です。ダビデは略奪隊追撃に成功し、妻子らを取り戻し、分捕りものも得たのでした。これを今まで世話になった人々に分配する。こうしてダビデは王に即位する時を、知らず知らずのうちに準備することとなったのでした。
主に伺いを立てるということは、自分の思いをいったんわきにおいて、神様は何を望んでおられるかということを思いめぐらす事です。大切な決断の時に、自分の思いに縛られず、自分を神様の視点から客観視できること。ダビデは小グループのリーダーでしたが、適切なリーダーシップを発揮したのです。
その時にダビデは祭司エブヤタルを介して、主に伺いをたてたのでした。28章で霊媒師を訪ねるサウルと対照的です。ダビデは略奪隊追撃に成功し、妻子らを取り戻し、分捕りものも得たのでした。これを今まで世話になった人々に分配する。こうしてダビデは王に即位する時を、知らず知らずのうちに準備することとなったのでした。
主に伺いを立てるということは、自分の思いをいったんわきにおいて、神様は何を望んでおられるかということを思いめぐらす事です。大切な決断の時に、自分の思いに縛られず、自分を神様の視点から客観視できること。ダビデは小グループのリーダーでしたが、適切なリーダーシップを発揮したのです。
2012年9月17日月曜日
契約の虹
昨日はノアの箱船、雨が止んで水が引き、箱船を出たノアと神様がかわした契約を学びました。これは今の時代にまで続く世界の状態を告げている箇所ですから、特に重要です。
3、11大震災があって以来、教会の中でも外でも、これは神のさばきか、ということが語られ、噂され、色々な意見がありました。
聖書は何と言っているか。ノアの箱船以来、神様は、人間の罪深いことは百も承知。しかし、地の続く限り、人をかの大洪水のような災いによっては、滅ぼす事はすまい、そう決められた。そして神様は人との約束のしるしとして雲間にあらわれる虹を与えてくださった。聖書はそう告げているのです。
私は3、11の日、出先から帰る車の中で、フロントガラスを濡らす水滴に気付きました。あたりは晴れているのに、ここだけにわか雨?ひょっとしてと側面の窓から後の方を振り返ったら、うっすらと虹が見えました。
ニュースなどまだ見れていませんでしたが、大変な災害となっているだろうことの予測のつく地震でした。しかし神様は虹を見せてくださった。それは大きな災害があっても、すべてを滅ぼす事はすまい。まだすべてを滅ぼす事はすまい、そう言っておられる神様の御声のように聴こえました。
多くの人の命が奪われました。痛ましいことです。なお困難の中にいる人たちがおり、原子力発電所でも被曝しながら働いている人たちがいます。なんということが起こってしまったのだ、多くの人がそう考えていると思います。しかし、神様はノアによって人類を救い、人類と動物たちの地に栄えることを願われた神様。神様は今日も色々なことを通して、最悪の事態から免れるように、わたしたちに忍耐深く語っておられるように思います。
今は恵みのとき、今は救いのとき。神様はまだ私たちにチャンスを与えておられます。助け合い、よりよい未来を築くものでありたいと思います。
3、11大震災があって以来、教会の中でも外でも、これは神のさばきか、ということが語られ、噂され、色々な意見がありました。
聖書は何と言っているか。ノアの箱船以来、神様は、人間の罪深いことは百も承知。しかし、地の続く限り、人をかの大洪水のような災いによっては、滅ぼす事はすまい、そう決められた。そして神様は人との約束のしるしとして雲間にあらわれる虹を与えてくださった。聖書はそう告げているのです。
私は3、11の日、出先から帰る車の中で、フロントガラスを濡らす水滴に気付きました。あたりは晴れているのに、ここだけにわか雨?ひょっとしてと側面の窓から後の方を振り返ったら、うっすらと虹が見えました。
ニュースなどまだ見れていませんでしたが、大変な災害となっているだろうことの予測のつく地震でした。しかし神様は虹を見せてくださった。それは大きな災害があっても、すべてを滅ぼす事はすまい。まだすべてを滅ぼす事はすまい、そう言っておられる神様の御声のように聴こえました。
多くの人の命が奪われました。痛ましいことです。なお困難の中にいる人たちがおり、原子力発電所でも被曝しながら働いている人たちがいます。なんということが起こってしまったのだ、多くの人がそう考えていると思います。しかし、神様はノアによって人類を救い、人類と動物たちの地に栄えることを願われた神様。神様は今日も色々なことを通して、最悪の事態から免れるように、わたしたちに忍耐深く語っておられるように思います。
今は恵みのとき、今は救いのとき。神様はまだ私たちにチャンスを与えておられます。助け合い、よりよい未来を築くものでありたいと思います。
2012年9月12日水曜日
苦しい時の神頼み
苦しい時の神頼み、という言葉があります。私は牧師として、苦しい時の神頼みでもいいんです。神を求めてくだされば、と話すようにしています。どんな出会いでも真の神様に出会うきっかけになれば、それで良いからです。しかし今日学んだサムエル記第一の28章には、苦しい時の神頼みではダメな悪いケースを教えられます。ペリシテとイスラエルの戦いで怖じ気づいたサウル王は、主なる神様に伺いをたてます。しかし、主からの答えがないと、即座に霊媒による託宣を求めたのでした。イスラエルは律法によってあらゆる偶像礼拝、占い、霊媒が禁じられている国です。その種のオカルトは、人間をだまし滅びに招くからです。その国王が霊媒を求めたのでした。自分の思いのままに超自然の助けを求めたのでした。現れたのはすでに地上を去った預言者サムエル。彼は、サウルの罪を指摘し、それゆえに主の祝福がサウルを去ったこと、この後、息子ヨナタンと共に、ペリシテの手にかかって死ぬことをサウルに伝えたのでした。
サウルのすべきことは何だったのか。それはかつて主の御声に聞き従わなかった罪を、心から悔い改めて、神に立ち返ることでした。しかし、サウルのやっていることは、いつもその場しのぎのうわべだけの振る舞いなのです。真心からの悔い改め、神への立ち返りのないサウルの信仰生活は、神との真摯な交わりを欠くものでした。それが求めて得られないとすぐ別へ行くという行動にあらわれています。主の答えがないなら、なぜないのか、主の答えがないというのは、それ自体もっとも正しい主の答えを意味している場合があるのです。真の信仰者は、どこまでも、真の神に助けを求めるべきであり、神の御心はどこにあるのか思いめぐらすべきです。なぜなら本当に頼りになるのは唯一の神お一人であり、また世界はすべて神様の御心のままに動いて行くのですから、この神様を見上げると、自分のなすべき最善のことも見えてくるものだからです。
サウルのすべきことは何だったのか。それはかつて主の御声に聞き従わなかった罪を、心から悔い改めて、神に立ち返ることでした。しかし、サウルのやっていることは、いつもその場しのぎのうわべだけの振る舞いなのです。真心からの悔い改め、神への立ち返りのないサウルの信仰生活は、神との真摯な交わりを欠くものでした。それが求めて得られないとすぐ別へ行くという行動にあらわれています。主の答えがないなら、なぜないのか、主の答えがないというのは、それ自体もっとも正しい主の答えを意味している場合があるのです。真の信仰者は、どこまでも、真の神に助けを求めるべきであり、神の御心はどこにあるのか思いめぐらすべきです。なぜなら本当に頼りになるのは唯一の神お一人であり、また世界はすべて神様の御心のままに動いて行くのですから、この神様を見上げると、自分のなすべき最善のことも見えてくるものだからです。
2012年9月10日月曜日
大洪水
昨日は創世記7章からノアの時代の大洪水、ノアとその家族、箱船に乗った動物たちを残して、地上の生き物はみな死に絶えた恐ろしい過去の、尋常ならぬ大災害の記憶を学びました。死に絶えた人々の側から見るならば、それは恐るべき事件。しかし、生き残ったノアたちからすれば救いのみわざです。そして、神様がすべてを絶滅させなかったので、今日の私たちは存在する。今の時代は恵みの時代です。神様は、二度とこのような仕方では地を滅ぼさないと約束し、約束の虹は繰り返し雲間からあらわれます。恵みの時を無駄にせず、神を仰ぎ見て祝福をいただく者とされたいものです。
2012年9月6日木曜日
ガテ
サムエル記第一の27章でダビデはかつて一人で逃亡していた時に逃げ込んだガテへ、再び赴くことになります。かつてはその素性を知られるや、気違いを装って逃げ出さなければならなかった場所。しかし今回は600人以上もの大所帯で、サウル王との敵対関係も明らかだったことでしょう。そのようなダビデを受け入れるガテの王アキシュ、時代が少しづつ変わりつつあることがわかります。そしてダビデはここでガテの王アキシュの信頼を得、いつまでも彼のしもべでいるだろうと思われるほどになったのでした。しかしダビデの真の主は、目に見えない真の神なのです。
2012年9月2日日曜日
仕える教会
今日は『仕える教会』というテーマで、いわきキリスト教会の増井恵牧師より、午前、午後、語っていただきました。色々な現場に実際に関わっておられる言葉が、重さをもって私たちに迫ってきました。今、日本が直面している様々な困難に対して、キリスト教会ができることがあること、それを実感しつつ、飾らずに仕えておられる姿勢が、私たちのできることを教えておられる、そう思いました。感謝いたします。
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