2013年3月11日月曜日

ユダの誕生

昨日はユダの誕生と題して創世記29章からメッセージをしました。アブラハムの息子、イサクの息子、ヤコブの息子、第4男のユダです。ヤコブの嫁探しは、彼の父イサクの嫁探しと比較すると、大違いのぎこちなさ、困難に遭遇するものとなりました。アブラハムのしもべがリベカと出会ったのと共通するのは井戸端ということだけ。ヤコブは土地の風習も知らず、勝手に石のふたをころがし、羊に水を飲ませます。リベカがどのように振る舞うのか、じっと見ていたアブラハムのしもべとは対照的です。用件を話すまで食事をとらず、用が済むと翌朝旅立った、これに比較しても、いきなりあらわれて、一ヶ月も滞在したヤコブは、大変な目にあうことになるのです。約束の7年の労働の後に、初夜を共にした女性は愛するラケルでなく、姉のレアでした。ラバンに言いくるめられて、ラケルのためにもう7年労働することになります。父を騙し、兄を出し抜いたヤコブは、今度は叔父に騙される。人にした悪は自分に返ってくるのです。神様の公平さはレアとラケルという2人の姉妹にもあらわされます。美貌やスタイルは異なっていました。神様は私たち人間の一人一人に、異なったものを与えておられるのです。不平不満を言っていては自分が不幸になるばかりです。しかしヤコブがレアに愛情を注がなかったということについては別でした。神様はこれをあわれんで、レアに最初の4人の男の子を与えていくのです。その名付けにレアの心境の変化があらわれています。3人の息子までは、夫から愛されることを切に願っていた彼女の心の痛みがうかがえます。しかし、4人目が生まれた時に彼女は、ただ神様をほめたたえるものと変えられていました。神様は、悲しんでいる者の悲しみを聴き、慰めを与えられるお方なのです。そしてヤコブの意図しない所で、彼の家族が大家族になっていく、神様の約束の実現は着々と進んでいたのでした。彼の父イサクの見なかった壮大なスケールの神の祝福、約束の実現を、ヤコブは苦労の人生の果てに見るものとなっていくのです。

2013年3月6日水曜日

神を恐れて治める者は

今日はサムエル記第二23章からダビデの最後の言葉を学びました。「主の霊は私を通して語り」と霊感を強調するダビデが語った帝王学は、「神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光」と歌います。地上の王国イスラエルを繁栄に導いた最大の立役者ダビデ王の信念、神から教えられたことは、神を恐れて国を治める王こそ、国に繁栄をもたらす、若草を勢いよく成長させる陽の光であると言っているのです。
人の上に立つ指導者が、その行動の動機をどこに持っているか、これが重要です。民意をくみとることは、民主主義の社会においては当然のことでしょうが、しかし、上に立つ指導者に必要なのは正義。反対者がいても信念を貫ける、目に見えない神を恐れて、民のために行動する者、そのようなリーダーがいてこそ、民草は陽の光を受けて育つ初夏の植物のように、それぞれの力を発揮して、結果、国が栄えるということなのでしょう。
私たちの住むこの国もそのような国であることを願うものです。

2013年3月3日日曜日

ヤコブの梯子

本日はヤコブのはしごと題して創世記28章のメッセージをしました。欧米では雲間から太陽光が地上に注ぐ様を指してヤコブの梯子と言うそうです。その謂れが創世記28章の事件です。
兄に憎まれベエル・シェバの家を出なくてはならなくなったヤコブ。彼は母の兄ラバンの家を目指しておよそ800キロの旅にでます。彼の祖父が彼の母を嫁として連れ帰る旅は、らくだ十頭、贈り物と従者を携えての用意周到なものでしたが、ヤコブは身一つ。食べ物も着物も、旅先で神様が与えてくださると願うしか無い、心細い一人旅でした。そんな徒歩の旅、一日か二日いかないうちに、彼は神様からすばらしい夢を見せていただき、すばらしい約束の言葉をいただくのです。
神が人に夢を見せるだろうか、神が人に言葉を語りかけるだろうか。現代人はそんなことも考えるかもしれませんが、聖書の証言によると、彼が見た夢、彼が聞いた言葉は、彼の想像による産物ではありませんでした。しかし、彼は見せていただいた幻、語られた約束の言葉を信じて、長い旅路を全うすることになるのです。これが信仰の道でしょう。信じないこともできる、しかし、信じてたゆみ無く生きることもできる。
そして聖書の記録が証明していることは、ヤコブが見た夢、ヤコブが聞いた神の約束の言葉が、彼の生涯で実現しているということです。
天上と地上を結ぶはしご、そこを行き交う御使いは、神に至る道が開かれており、彼の祈りは聞かれ、答えを得、天上の恵みは降り注ぐ事を意味していました。そして地上のヤコブのかたわらに、神が共におられる。必ず父の家に連れ戻してくれる。
ヤコブは生涯の終わりをエジプトで迎えますが、ミイラにされるという丁重な扱いを受け、先祖たちの墓まで運ばれ、荘厳な葬儀を行うことになります。旅立ちの日から何年の歳月が経過したことでしょう。しかし、神の幻、神の言葉は真実でした。
そして、イエス・キリストは、この事件のおよそ2000年後、すべての信じる人の天上と地上をつなぐ梯子となって救いのみわざを成就してくださいました。信じる者には、天上と地上をつなぐ梯子が今も見えるのです。神は信じる者の祈りを聞いてくださり、答えを天から注いでくださる。私たちも信じて、自分の人生を全うさせていただきたいと願うものです。