2012年2月21日火曜日
転入会式
おとといの日曜日は転入会式が行われました。J兄とS姉。S姉はご結婚される前はすでに日本で宣教師として働いていてくださった方ですが、礼拝において入信の証、その後の歩みをお話ししてくださいました。高校生の彼女を救い、また続けて反対していたご家族も皆救われた神様の真実を本当に覚えさせられた幸いな機会でした。生まれも育ちも異なっていても、救い主イエス様は私たちに姿を見せてくださって、救いに導き、兄弟姉妹としてくださるのだとつくづく思いました。来週はJ兄が証をしてくださいます。乞うご期待。
2012年2月12日日曜日
わたしはすでに勝った
今日は「わたしはすでに勝った」と題して、ヨハネの福音書16章、結びの部分を学びました。ヨハネの福音書の最後の晩餐のシーンは、これが最後に記された福音書なのかと思われるくらい、イエス様と弟子たちの会話が、生き生きと伝えられていることに驚かされます。信じているという弟子たちの弱さを知ってなお語られるイエス様の言葉に、真摯な愛と証拠のある励ましを覚えることができました。感謝いたします。
2012年2月8日水曜日
私を弁護してください。主よ。
今日は詩篇26篇を学びました。「私を弁護してください。主よ。」この所の詩篇は、極めて個人的な嘆願が続いていますが、その内容はおよそありのままの私たちからは生まれでて来ないような祈りです。こんな言葉を神の前で述べることができるのか。偽善では意味がありません。しかし、正直な自分を神の前においていくとき、私たちは祈りによって益を得るのでしょう。主に信頼を置くことは、主に認めていただける価値のあること、これも有神論的世界観にたっていないと理解できない言葉と思いました。神が私たちを愛し、私たちのために最善を為そうとしておられる人格的な方ならば、試練の中で失望したり、絶望したりすることは、神を悲しませることになります。苦しみの人ヨブは、人格的に神を信頼していた、そのような交わりの中にいたのだということが思い出されました。
2012年1月23日月曜日
躓かないように
昨日はヨハネの福音書16章前半を学んだ。ご自身の去られる前に、弟子たちのことを心から思いやって語るイエス様の愛が伝わってくる箇所だ。そして、すべてのことはあらかじめわかっていたこと。イエス様の語る未来の出来事はことごとく実現した。何も知らずに未来に遭遇したとしたら、弟子たちはまさに「つまずいた」ことだろう。しかし彼らの師なるイエス様がつまずかないようにと語った言葉によって、彼らは使命をやりとげる人々となったのだろう。私達も力あるイエスの言葉によって生かされていきたい。またご自身の不在は益、悲しむのではなく、もう一人の助け主を喜べという言葉も、即、私達にあてはまる知恵の言葉だった。
2012年1月18日水曜日
主は私の羊飼い
今日は詩篇23篇を学んだ。主は私の羊飼い。ダビデの賛歌とあるが、6節最後の「いつまでも主の家に住まいましょう。」という言葉が、ダビデの頃には神殿が建設されていなかったことからすると、著作性の疑われる理由として挙げられる。しかしダビデは晩年地上では寄留者である、と告白していた。そして神殿建設をとどめられたが、準備万端整えることにいささかも力を削ぐことはなかった。地上で後世のために主の家を建設する準備を整えることに力を注いだダビデは、天上の神の家、永遠の住まいを憧れつつ世を去ったのではないかと思う。
2012年1月16日月曜日
イエスは憎まれた
昨日の説教から。人間は誰しも人に憎まれるより好かれたいと願うだろう。しかしイエス様は弟子たちにご自分が憎まれたということを話した。そして弟子たちも憎まれることがあるだろう、驚いてはならない、恐れてはならないとあらかじめ教えられた。人の評価を気にして、好かれたい、ということで進む道の判断を誤ってはならないことを教えられた。
2012年1月12日木曜日
モーセの死
今日は家庭集会。申命記の終わりからモーセの死について学びました。たった一度、神を聖としなかったことで約束の地に入ることをゆるされない、生涯を終えていくモーセ。その意味はなに?と新約聖書ヘブル人への手紙11章以下も参考にして学びました。新年早々あの世のことを考える集会となりましたが、それは現実を生き抜く力強い信仰につながっていることを確認することができました。
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