2012年9月6日木曜日

ガテ

サムエル記第一の27章でダビデはかつて一人で逃亡していた時に逃げ込んだガテへ、再び赴くことになります。かつてはその素性を知られるや、気違いを装って逃げ出さなければならなかった場所。しかし今回は600人以上もの大所帯で、サウル王との敵対関係も明らかだったことでしょう。そのようなダビデを受け入れるガテの王アキシュ、時代が少しづつ変わりつつあることがわかります。そしてダビデはここでガテの王アキシュの信頼を得、いつまでも彼のしもべでいるだろうと思われるほどになったのでした。しかしダビデの真の主は、目に見えない真の神なのです。

2012年9月2日日曜日

仕える教会

今日は『仕える教会』というテーマで、いわきキリスト教会の増井恵牧師より、午前、午後、語っていただきました。色々な現場に実際に関わっておられる言葉が、重さをもって私たちに迫ってきました。今、日本が直面している様々な困難に対して、キリスト教会ができることがあること、それを実感しつつ、飾らずに仕えておられる姿勢が、私たちのできることを教えておられる、そう思いました。感謝いたします。

2012年8月30日木曜日

献堂7周年感謝記念礼拝

来る9月2日(日)は新船橋キリスト教会の新会堂献堂7周年記念礼拝です。いわきキリスト教会より増井恵牧師をお招きしてメッセージと午後のレクチャーをしていただきます。タイトルは『仕える教会』2011.3.11以降、多くの経験をされ活動しているいわきの友人牧師より、メッセージをいただきたいと思います。心から期待しています。

2012年8月29日水曜日

エシモンの東にあるハキラの丘

かつてダビデの居場所をサウルに知らせたジフ人たちが、サムエル記第一の26章でもダビデの居場所をサウルに知らせます。サウルがダビデに近づいた夜、ダビデはアビシャイを連れてサウルの幕営を訪れたのはなぜでしょう。荒野での逃亡生活を理解することが鍵になるかもしれません。荒野に逃げるとは、森や木々のある場所に隠れることではありません。人の来ない広大な荒涼とした場所に身を置く事ですから、一度居場所が分かってしまえば、むしろ万事休す、身を隠すものは何もないのです。敢えてサウルに会うために、出て行く必要があったのかもしれません。そこでダビデはサウルを殺害するチャンスに恵まれますが、それは彼の願うところではありませんでした。槍と水差しをもって翌日に備えます。翌日、急には捕えられない十分に距離を置いた場所からダビデが呼びかけますと、しおれたサウルはいのちを助けられたことを悟り、自分の過ちを認めたのでした。ここでもサウルの前で率直に語ったダビデは、サウルを退けることに成功したのでした。「私があなたのいのちを大切にしたように、主はわたしのいのちを大切にして、私を救い出してくださいます。」敵のいのちを奪う事ではなく、敵のいのちを大切にすることこそ、自分のいのちを守ることになる。今日、あらゆる場面に見られる憎しみと争いも、このような解決方法によらなければ、負の連鎖は積み重なる一方なのではないでしょうか。戦が連続するような旧約聖書の歴史の中にも、丁寧に読み解くなら、神は暴力を肯定しておられないということを教えられるのではないでしょうか。

2012年8月27日月曜日

ノアの箱船

8月26日はノアの箱船と題して、創世記6章から学びました。神のさばきの対象となる地上世界は、しかし、今日とどれほど異なるというのでしょうか。わたしたちの歩みについて考えさせられました。しかし当時の世界は、義人ノアによって救いを得ます。ノアは神の言葉に従い、信仰によって救いを得ました。ノアの箱船、大洪水が、今日の私たちに教える教訓は次週以降になりますが、人の罪深さ、しかしそれを覆ってあまりある神の恵み深さを教えられるときでした。

2012年8月22日水曜日

聡明な女性アビガイル

今日はサムエル記第一25章を学びました。愚かな夫ナバルの聡明で美しい妻アビガイルが、援助を断ったナバルの代わりに、ダビデの前へ出て、復讐の血を流さないでくださいと嘆願します。ダビデは道を引き返し、翌朝、すんでの所で生き延びたことを知ったナバルは、しかし、誰の手にもよらず息絶えていきます。アビガイルの賢さは、ただ強者におもねったことではなく、ダビデが主によって王とされていくことを信じて見てとった霊的な賢さであり、王となるダビデが無益な血を流してはならないとの、ダビデに対しても臆せず語った正しい道にありました。そして、このような手段をもっても油注がれた者の道を守られた神様の真実を覚えさせられたことでした。神の御前に、清く、正しく、知恵深く、また勇気を働かせて生きて行きたいもの、と教えられたことでした。

2012年8月19日日曜日

エノク

今日は創世記5章を学びます。神の言葉の厳粛な事実が実現します。アダムの子孫の系図、その名前は神様の御前にひとりひとりが覚えられていますが、みな地上の命を死によって終えていきます。たった一人の例外エノクを除いて。現代人と比較すれば驚くほどの長寿を記録している人々もみな死に絶えていく。神の言葉の厳粛さの前に、人々が絶望する可能性も大きかったのではないでしょうか。しかし、神を恐れ、神とともに歩んだエノクは、地上に屍をさらさなかった。死によってとどめをさせれない命があることを人々は知らされたのです。それがどのようにして多くの人々の救いとなるのか。それはまだ知らされていないことでしたが、神様は死の支配する世界を打ち破る希望のあることを、人に知らせたのです。