2011年6月20日月曜日
2011年6月15日水曜日
ヨブ記42章 被災地訪問報告
今日はヨブ記の最終章。これまでの学びを振り返るようなまとめの学びになりました。感謝。そして、午前も夜も、被災地訪問の報告を行いました。なぜ私たちのような小さな教会が有効な支援を行えるのか、理解していただけたら、報告成功と思います。でも皆さん、仕える喜びを覚えてくださったようです。牧師は被災地から新たなリクエストを持ち帰ることができました。早速応えて行きたいと思います。今後も支援を続けます。
2011年6月8日水曜日
被災地救援
新船橋キリスト教会では、被災地の近くにある教会と連絡をとって、Face to face の救援を行っています。現地の教会が、避難所の必要を精確に伝えてくれています。大量の物資を輸送することはできないですが、必ず役に立つものを届けることができます。今度の日曜日には、他の物資に加え、野菜類を集め、月曜日に移送、火曜日に届ける予定です。もしご協力できる方がいらっしゃいましたら、日曜日、野菜を、集めています。
ヨブ記41章 リヴァイアサン
今日はヨブ記41章。先週の河馬を見よに続いて、リヴァイアサン(レビヤタン)について語られる神の言葉。私の参考にした解説によると、河馬もベヒーモスで、ここではやはり今日、神話の怪獣と思われているベヒーモス、リヴァイアサンが語られているのではないかとのことであった。ただし、聖書は神話の口調と違う、ということが記されてあった。
大切なのは、人々が神話の中で恐れた怪獣を、手の内に支配し、さばかれる神がおられるということ。私たちの対処しきれない理解し難い危険、恐怖は確かに存在し、しかし、その背後には、善なる神、愛なる神、忍耐深く、憐れみ深い神がおられる、必ず正しくさばかれる神がおられる、そのことを聖書は主張しているという。
現実の私たちに本当に必要なメッセージだと教えられた。私たちは希望を失ってはならない。
大切なのは、人々が神話の中で恐れた怪獣を、手の内に支配し、さばかれる神がおられるということ。私たちの対処しきれない理解し難い危険、恐怖は確かに存在し、しかし、その背後には、善なる神、愛なる神、忍耐深く、憐れみ深い神がおられる、必ず正しくさばかれる神がおられる、そのことを聖書は主張しているという。
現実の私たちに本当に必要なメッセージだと教えられた。私たちは希望を失ってはならない。
2011年6月1日水曜日
ヨブ記40章 さあ河馬を見よ
今日はヨブ記の40章を読みました。38章39章は全知の知識を披露する神の言葉。40章はご自身のみ、神であり、ヨブに対して「あなたはわたしのようになれるか?」と問いかける言葉でした。全能の神ご自身が登場されたわけですから、これ以上、何が言えるでしょう。ヨブは謙遜に手を口にあてます。
しかしなお語りかける神の言葉に、私たちは自分を吟味させられました。「激しい怒りを吐き散らし、すべて高ぶる者を見て、これを低くせよ。すべて高ぶる者を見て、これを押さえ、悪者どもを踏みにじれ。」という神様の挑発するような言葉。わたしが正しいと言い張って、高慢に陥っていることはないか。間違ったならば心からごめんなさいと言える、聖書は私たちに柔らかな心を教えているのではないかと思いました。
聖書は至る所で私たちの鏡のようになってくれます、私たちが自分の本当の姿をみつめることができるようにしてくれています。そしてそれは正しいですか?とといかけてくれるのです。
しかしなお語りかける神の言葉に、私たちは自分を吟味させられました。「激しい怒りを吐き散らし、すべて高ぶる者を見て、これを低くせよ。すべて高ぶる者を見て、これを押さえ、悪者どもを踏みにじれ。」という神様の挑発するような言葉。わたしが正しいと言い張って、高慢に陥っていることはないか。間違ったならば心からごめんなさいと言える、聖書は私たちに柔らかな心を教えているのではないかと思いました。
聖書は至る所で私たちの鏡のようになってくれます、私たちが自分の本当の姿をみつめることができるようにしてくれています。そしてそれは正しいですか?とといかけてくれるのです。
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